- 三木清から丸山眞男につながるもの
今井弘道著『三木清と丸山眞男の間』によせて
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- 内田 弘
- (うちだ ひろし 専修大学経済学部教授)
丸山眞男の姿を直に拝見したことが一度ある。内田義彦が『作品としての社会科学』で「大佛次郎賞」を受賞した祝いの席においてである。丸山眞男は、発言を求められて、内田義彦について、おおよそつぎの三つのことを指摘した。
(1) 内田義彦は、ほめられるまえに、自分でほめてしまう。だから私(丸山眞男)はほめそびれてしまったことがいくどかある。
(2)内田義彦の著作は、「本文」より「注」がおもしろい、内田義彦の代表的作品『経済学の生誕』でおいては、断然そうである。
(3)内田義彦の市民社会論はアダム・スミス研究にねざしている。ところで、内田義彦がスミスの国、イギリスに留学するとき、内田義彦は、すでにイギリス留学の経験のある私(丸山眞男)にいろいろ具体的なことを教えてくれというので教えたが、内田義彦はイギリス留学から帰国後、イギリス留学のことをまったく私(丸山眞男)に語らない、書いたことがない。なぜだろうか。
いずれの点も、内田義彦論として興味ぶかい。内田義彦はその会の次の週、同じ勤務先の教員室で筆者(内田弘)の姿をみつけると、前に座り、「今度は、《注》だけからなる『国富論研究』を書くことにした」といった。次の週も同じことを、内田義彦は私に告げた。筆者は、これはかなり強いメッセージだな、と思ったが、この、いわば『全注書《国富論》研究』のエピソードを他言しなかった。今回が初めてである。
実は、丸山眞男はスピーチで内田義彦の個性を語ったのである。個性とは、人間の型(タイプ・フォルム)のことである。丸山眞男は内田義彦の人格的一貫性を上記の三点で指摘したのである。人間としての信頼の根拠である人格的一貫性は「型」に依拠している。
丸山眞男が指摘した(3)と関連するエピソードがある。大学教員なりたての筆者に内田義彦は「教員は学生から学ぶということがあってはならない」と、これまた二回、強い調子で助言したことがある。同じことでも、二回目は一回目とは異なる高い質をもつ、というのが内田義彦の論理学である。教員の学生からの専門家としての「自立性」を繰り返し指摘したのである。イギリスの、それも現代のイギリスの、短期間で特定の場所に限定された滞在に、おおよそ内田義彦のスミス学に付加するものがあるだろうか。内田義彦のスミス研究の「自立性」は、イギリス留学については沈黙するというかたちをとったのであろう。
(1)に関連するが、内田義彦は自分の著作についても、自分から切り離して「自立した存在」として語ることがしばしばあった。そのような発言は「謙譲の国・日本」では誤解されやすい。聞くひとによっては、自分をほめている、法螺を吹いている、と聞こえる。(2)に関連するが、内田義彦の「注」はそれだけで一本の論文になるくらいの自立的な質、発展可能性をもっている。だから、『全注書《国富論》』を書くと内田義彦がいったとき、筆者は、丸山眞男へのイロニーだと思うより、大変な計画だと刮目したのである。
今井弘道が近著『三木清と丸山眞男の間』で問題にしていることは、基本的になんだろうか、と考えているとき、ひらめいたのが、上記のことである。今井が本書の第一章で「自然的制度観」の克服を論じているのは象徴的である。制度とは自然と生成したものであるという制度観は、自分は合理的に思考する人間であると思っている者にさえ、いざ、自分が制度運営の責任者になると、復活してくることがある。怖いものである。
戦時ファシズムが支配する時期に生きた三木清は「型」の哲学を主張した。その文脈で「制度はフィクションである」、「人為的存在である」と繰り返し指摘した。『構想力の論理』で「神話→制度→技術→神話→ …」と循環する過程に、制度の絶えず再生する神話性=フィクション性を析出し、戦時体制の人為性=非自然性を指摘し、脱神話化=脱神道化をこころみたのである。ふたたび脚光をあびている「原理日本」の蓑田胸喜たちに、当時果敢に対抗したのが、三木清である。「近代日本の型」は明治維新のときから作られたのであって、記紀神話の古代から自ら成ったものではない、と主張する三木清を蓑田胸喜は憎悪した。
丸山眞男は、三木清の著作で一番おもしろいのは『歴史哲学』である、とのべたことがある。『歴史哲学』の主題はなんだろうか。『歴史哲学』は、ハイデッガーの根源的生成 (Ereignis)の歴史哲学を、自然史における人間が無意識につくりだす歴史的形態の意味を自覚化しようとするマルクスの歴史哲学で再構成したものである。それは若い三木清が自分に課した課題「ロマン主義の完成と克服」への回答である。三木清は『歴史哲学』で、「事実(Sache)としての歴史」・「存在としての歴史」・「ロゴスとしての歴史」の三つで歴史を把握した。「事実としての歴史」は「歴史を生きること(歴史的生活)」を自己の課題とする人間主体のことである。それは、出来上がった環境としての「存在としての歴史」と歴史的記録としての「ロゴスとしての歴史」を活動諸条件にしつつも、それから超越し構想力を働かせ新しい社会のフォルムを創造する人間主体である。「型」の哲学とともに、「型」を生み出す人間の原型を丸山眞男は三木清の『歴史哲学』に読んだのであろう。
小熊英二は「丸山眞男の神話と実像」(『道の手帳《丸山眞男》』河出書房)で、鶴見俊輔との対談での丸山眞男の「アカデミーに存在理由があるとしたら、徹底して学問の型を修練することですよ」という発言を引いている。小熊は、さらに、丸山眞男の「歴史意識の《古層》」に言及している。その日本固有の、と丸山眞男がみる、古層は、おおよそ「型」すべてを溶解する。それが記紀神話から持続して作用してきたと丸山眞男は考え、絶望していた、という。そのとき、丸山眞男は三木清の「型」の歴史哲学をいかに位置づけていたのであろうか。
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